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小寺智子と話す|DESIGNER|TOMOKO KODERA/15 DEGREES Ring

小寺智子と話す|DESIGNER|TOMOKO KODERA/15 DEGREES Ring

  • A






  • 小寺智子と話す −ジュエリーデザインのはじまり−

    聞き手:柿木原政広
    構成・文:岡本零

    小寺智子のジュエリーデザインは、どのように始まったのだろう?そのことを尋ねたとき、彼女が最初に見せてくれたのは、不思議なモノクロームの写真だった。地面のうえに置かれた球体。なめらかな質感と、砂のざらざらとした質感が混じり合っている。日蘭ジュエリー合同展のために撮影した写真だという。【A】
    「ジュエリーを通じて考え方を表現する。何かを伝える。『コンセプチュアルジュエリー』の展覧会だったんです。そのポスターのために撮影した写真。単に、作品を並べて撮るようなビジュアルは違うな、と思って。もっと象徴的なものがいい。そこで、原宿のにぎやかな通りにある公園の砂場で、この球をつくって撮ったの」
    意外だった。貴金属も宝石も無く、身体につけるものですらない。さらに形も、誰でも同じものができそうな、球体。「その頃から、かんたんに形をつくりたくなかった。デザインを描きはじめたり、型をつくりはじめたりすると、その『形をつくる』ことに没頭して、『つたえる』ことが見えなくなってしまうことが多い。もちろん形をつくっている時に、偶然きた線や面から発想が広がることもあるのだけれど、その前にちゃんと考えることが必要なんです」
    砂で作られた球体の写真をじっと見ていると、微細な光を返す粒子やおぼろな陰影に、宇宙的な時間や空間が感じられてくる。どこかの惑星か、そのミニチュアを見ているかのようだ。

    続けて小寺は、日蘭ジュエリー合同展に出品した作品を見せてくれた。ここでもまた、彼女はいわゆるジュエリーをつくっていない。アルバムに並んでいたのは、スナップショットのようなモノクロームの写真。身体のどこかに籾殻をつけた人々が写されている。【B、C、D、E、F】

  • B


    C






  • その写真に続けて、たくさんの籾殻のなかで跳ねていたり、身体のあちこちに籾殻をつけた女性の写真。ジュエリー自体をつくってはいないが、身体に「つく」ことと「つける」ことの境目を探求しようとする小寺の視線が見えてくる。
    「久しぶりに写真を見てふりかえったら、自分の考えていることがここまで遡れることが分かった。ほら、籾殻が指のあいだにある」
    手の指と指のあいだにはさまった籾殻。ややピントがぼけたモノクロームの写真に写った籾殻が描くラインは、確かに、身体のラインに寄り添いながらリングの輪にこだわらない現在の小寺のジュエリーにつながっているように思える。
    アルバムの後半は、東京の街中で、身体の一部に籾殻をつけた人々のスナップショット。サラリーマンやおばあさん、帽子姿の紳士らが、小さな籾殻を服につけて立っている。
    「大手町とかで『すみません、籾殻つけさせてください』って頼んで、撮らせてもらったんです。本当は、ラッシュアワーに撮影して、籾殻がほんのちょっと人についているようなのが見えるのが理想だった。でも、そんな風には当然写らなくて……。ダイヤモンドの鑑定士さんに、鑑定用の顕微鏡に籾殻を入れてもらって撮影したりもしたんだけど、そこまでやると、いやになってきちゃう。『あ、なんだか窮屈になってきた』って(笑)」


    ジュエリーデザイナーとしてのスタートの作品に、貴金属を使ったいわゆるジュエリーがない。それは、小寺のスタートに、現代美術につながる自由で深い体験があったからかもしれない。
    京都の美術大学を卒業後、小寺はアメリカ、ヨーロッパ、中国を旅行する。各都市の美術館を訪ね歩き、特に現代美術に心動かされた。美しく描くことを最終的な目的にしない「表現」の力に触れ、初めて経験した感動だった。
    フランクフルトの友人宅を訪ねたとき、小寺は、友人の生まれて間もない子供がピアスをつけているのを見る。
    「小さな白い肌に輝くジュエリーがたまらなく可愛くて。自分もどうしてもピアスをしたくなって、街の宝石店に行って開けてもらったんです。言葉もちゃんと通じないのに(笑)。はじめてジュエリーに興味をもった出来事でした」






  • 海外から日本に戻り、今後のことを決めかねている頃。美大予備校で教わった先生の東京での個展を訪ねたあと、夕食をいっしょにすることになった。
    「先生に『海外にいろいろ行ったりしてるって聞いたけど、おまえ何やりたいんだ』っ聞かれて。私はテーブルの上のグラスを手にとって、『このグラスを動かしたあとに残る、この輪が表現したい。これを表現できる人になりたい』って答えたんです。それをすごくよく憶えている」
    冷たい飲み物が注がれた、ごくふつうのグラス。テーブルから持ちあげると、水滴がたまった円が残る。日々の生活のなかで、誰もがふつうに見る光景。誰もが自然につくっている形だ。「これを表現したい」。まるで禅問答のような答えだが、先生は「だったら早くスタートしろ」と背中を押してくれた。
    そして小寺は、ジュエリーカレッジに通い始めた。

    「いつも気にしているのは『はっとする』『ぴぴっとくる』ってこと。その意味で、籾殻は私のなかで、ずっとひっかかっている。たとえばいま、このホテルのロビーに籾殻が一粒落ちているのを見つけたら『あれ、青森とかからきたのかな』と、見つけた人のなかで旅がはじまる。物語がふくらんでいく。でもその物語は、見た人それぞれの過去の経験の中から広がっていくもので、他人と共有するものではない。モノなんだけど、そこに空間や時間がこめられているモノがあって、それに見た人が自分で気づくことが大切なんです」
    見つけた人の心のなかで「旅」がはじまるかたち。「物語」の扉を開くかたち。小寺智子は、自分の旅を人に見せたいとは思っていない。自分で考えた物語を、人に伝えたいとも思っていない。ジュエリーを見た人、つけた人の心のなかで、それぞれの物語の扉が次々に開く。そのきっかけになるような形や質感、輝きや動きを探している。
    「いっぱい考えていっぱい足すんじゃなくて、いっぱい考えていっぱい引かないと、窮屈でつまらなくなってしまう。人によっては気づかないかもしれないけれど、そうやってつくられたものをみると、元気になる」
    例えば柿木原政広がデザインしたイオンのsingingのマーク。誰もが知っている音符をただ置いているだけのように思えるが、よくみると符頭(たま)と符幹(ぼう)がなんとも言えない曲線でつながっていたりする。
    「あまり手をいれず、自然にできあがった形。誰でもその世界に入っていける。そんな形が私は好きらしい、です」

  • D






  • インタビューのとき、小寺は左手の親指に彼女がデザインしたジュエリーをつけていた。指にすっと絡んで流れていくようなそのかたちは、何かはっとするものが通り過ぎた軌跡にも見える。
    「ジュエリーは、作っている人との時間より、所有している人との時間のほうが長い。手渡したあとに、しみこむ時間が違う。一生つきあってもらうことを考えたときに、『好きなものを形にした』だけだと、耐久性がないものになってしまう。
    例えば薔薇が咲いていたら、薔薇ではなくて『咲いている』ということを伝えたい。風にも揺れるだろうし、雨にも叩かれるだろうし。そんなことを含めて『咲いている』ということを表現したいと思う」
    グラスを動かした後に残る、水滴の輪。「同じものをつくることは絶対にできないんだけど」と言いながら、小寺智子はこう続けた。
    「忘れちゃいけないと思う。このことを忘れると、かたちをつくってしまう、モノをつくるようになってしまうから」

    (2013年8月22日・恵比寿ウエスティンホテルにて)






    singingAEON

    柿木原 政広
    1970年広島県生まれ。ドラフトを経て2007年に株式会社10(テン)を設立。JAGDA会員。東京ADC会員。主な作品にsingingAEON、R.O.Uのブランディング、東京国際映画祭、静岡市美術館、松竹芸能株式会社、富士中央幼稚園のCI。カードゲームRoccaなどを手がける。
    2003年日本グラフィックデザイナーズ協会新人賞受賞。2007年森美術館の「日本美術が笑う」でADC賞受賞。2011年「Rocca」でNewYork ADC 賞SILVER、ONESHOW merit賞、東京ADC 賞受賞。「静岡市美術館」のCIでONESHOW PENCIL賞受賞。2012年「Rocca」でGOOD DESIGN賞受賞。

  • E


    F

小寺智子と話す
−ジュエリーデザインのはじまり−

聞き手:柿木原政広
構成・文:岡本零

小寺智子のジュエリーデザインは、どのように始まったのだろう?そのことを尋ねたとき、彼女が最初に見せてくれたのは、不思議なモノクロームの写真だった。地面のうえに置かれた球体。なめらかな質感と、砂のざらざらとした質感が混じり合っている。日蘭ジュエリー合同展のために撮影した写真だという。【A】
「ジュエリーを通じて考え方を表現する。何かを伝える。『コンセプチュアルジュエリー』の展覧会だったんです。そのポスターのために撮影した写真。単に、作品を並べて撮るようなビジュアルは違うな、と思って。もっと象徴的なものがいい。そこで、原宿のにぎやかな通りにある公園の砂場で、この球をつくって撮ったの」
意外だった。貴金属も宝石も無く、身体につけるものですらない。さらに形も、誰でも同じものができそうな、球体。「その頃から、かんたんに形をつくりたくなかった。デザインを描きはじめたり、型をつくりはじめたりすると、その『形をつくる』ことに没頭して、『つたえる』ことが見えなくなってしまうことが多い。もちろん形をつくっている時に、偶然きた線や面から発想が広がることもあるのだけれど、その前にちゃんと考えることが必要なんです」
砂で作られた球体の写真をじっと見ていると、微細な光を返す粒子やおぼろな陰影に、宇宙的な時間や空間が感じられてくる。どこかの惑星か、そのミニチュアを見ているかのようだ。

続けて小寺は、日蘭ジュエリー合同展に出品した作品を見せてくれた。ここでもまた、彼女はいわゆるジュエリーをつくっていない。アルバムに並んでいたのは、スナップショットのようなモノクロームの写真。身体のどこかに籾殻をつけた人々が写されている。【B、C、D、E、F】

小寺智子と話す

その写真に続けて、たくさんの籾殻のなかで跳ねていたり、身体のあちこちに籾殻をつけた女性の写真。ジュエリー自体をつくってはいないが、身体に「つく」ことと「つける」ことの境目を探求しようとする小寺の視線が見えてくる。
「久しぶりに写真を見てふりかえったら、自分の考えていることがここまで遡れることが分かった。ほら、籾殻が指のあいだにある」
手の指と指のあいだにはさまった籾殻。ややピントがぼけたモノクロームの写真に写った籾殻が描くラインは、確かに、身体のラインに寄り添いながらリングの輪にこだわらない現在の小寺のジュエリーにつながっているように思える。
アルバムの後半は、東京の街中で、身体の一部に籾殻をつけた人々のスナップショット。サラリーマンやおばあさん、帽子姿の紳士らが、小さな籾殻を服につけて立っている。
「大手町とかで『すみません、籾殻つけさせてください』って頼んで、撮らせてもらったんです。本当は、ラッシュアワーに撮影して、籾殻がほんのちょっと人についているようなのが見えるのが理想だった。でも、そんな風には当然写らなくて……。ダイヤモンドの鑑定士さんに、鑑定用の顕微鏡に籾殻を入れてもらって撮影したりもしたんだけど、そこまでやると、いやになってきちゃう。『あ、なんだか窮屈になってきた』って(笑)」


ジュエリーデザイナーとしてのスタートの作品に、貴金属を使ったいわゆるジュエリーがない。それは、小寺のスタートに、現代美術につながる自由で深い体験があったからかもしれない。
京都の美術大学を卒業後、小寺はアメリカ、ヨーロッパ、中国を旅行する。各都市の美術館を訪ね歩き、特に現代美術に心動かされた。美しく描くことを最終的な目的にしない「表現」の力に触れ、初めて経験した感動だった。
フランクフルトの友人宅を訪ねたとき、小寺は、友人の生まれて間もない子供がピアスをつけているのを見る。
「小さな白い肌に輝くジュエリーがたまらなく可愛くて。自分もどうしてもピアスをしたくなって、街の宝石店に行って開けてもらったんです。言葉もちゃんと通じないのに(笑)。はじめてジュエリーに興味をもった出来事でした」

小寺智子と話す
小寺智子と話す

海外から日本に戻り、今後のことを決めかねている頃。美大予備校で教わった先生の東京での個展を訪ねたあと、夕食をいっしょにすることになった。
「先生に『海外にいろいろ行ったりしてるって聞いたけど、おまえ何やりたいんだ』っ聞かれて。私はテーブルの上のグラスを手にとって、『このグラスを動かしたあとに残る、この輪が表現したい。これを表現できる人になりたい』って答えたんです。それをすごくよく憶えている」
冷たい飲み物が注がれた、ごくふつうのグラス。テーブルから持ちあげると、水滴がたまった円が残る。日々の生活のなかで、誰もがふつうに見る光景。誰もが自然につくっている形だ。「これを表現したい」。まるで禅問答のような答えだが、先生は「だったら早くスタートしろ」と背中を押してくれた。
そして小寺は、ジュエリーカレッジに通い始めた。

「いつも気にしているのは『はっとする』『ぴぴっとくる』ってこと。その意味で、籾殻は私のなかで、ずっとひっかかっている。たとえばいま、このホテルのロビーに籾殻が一粒落ちているのを見つけたら『あれ、青森とかからきたのかな』と、見つけた人のなかで旅がはじまる。物語がふくらんでいく。でもその物語は、見た人それぞれの過去の経験の中から広がっていくもので、他人と共有するものではない。モノなんだけど、そこに空間や時間がこめられているモノがあって、それに見た人が自分で気づくことが大切なんです」
見つけた人の心のなかで「旅」がはじまるかたち。「物語」の扉を開くかたち。小寺智子は、自分の旅を人に見せたいとは思っていない。自分で考えた物語を、人に伝えたいとも思っていない。ジュエリーを見た人、つけた人の心のなかで、それぞれの物語の扉が次々に開く。そのきっかけになるような形や質感、輝きや動きを探している。
「いっぱい考えていっぱい足すんじゃなくて、いっぱい考えていっぱい引かないと、窮屈でつまらなくなってしまう。人によっては気づかないかもしれないけれど、そうやってつくられたものをみると、元気になる」
例えば柿木原政広がデザインしたイオンのsingingのマーク。誰もが知っている音符をただ置いているだけのように思えるが、よくみると符頭(たま)と符幹(ぼう)がなんとも言えない曲線でつながっていたりする。
「あまり手をいれず、自然にできあがった形。誰でもその世界に入っていける。そんな形が私は好きらしい、です」

小寺智子と話す

インタビューのとき、小寺は左手の親指に彼女がデザインしたジュエリーをつけていた。指にすっと絡んで流れていくようなそのかたちは、何かはっとするものが通り過ぎた軌跡にも見える。
「ジュエリーは、作っている人との時間より、所有している人との時間のほうが長い。手渡したあとに、しみこむ時間が違う。一生つきあってもらうことを考えたときに、『好きなものを形にした』だけだと、耐久性がないものになってしまう。
例えば薔薇が咲いていたら、薔薇ではなくて『咲いている』ということを伝えたい。風にも揺れるだろうし、雨にも叩かれるだろうし。そんなことを含めて『咲いている』ということを表現したいと思う」
グラスを動かした後に残る、水滴の輪。「同じものをつくることは絶対にできないんだけど」と言いながら、小寺智子はこう続けた。
「忘れちゃいけないと思う。このことを忘れると、かたちをつくってしまう、モノをつくるようになってしまうから」


(2013年8月22日・恵比寿ウエスティンホテルにて)




singingAEON 柿木原 政広
1970年広島県生まれ。ドラフトを経て2007年に株式会社10(テン)を設立。JAGDA会員。東京ADC会員。主な作品にsingingAEON、R.O.Uのブランディング、東京国際映画祭、静岡市美術館、松竹芸能株式会社、富士中央幼稚園のCI。カードゲームRoccaなどを手がける。
2003年日本グラフィックデザイナーズ協会新人賞受賞。2007年森美術館の「日本美術が笑う」でADC賞受賞。2011年「Rocca」でNewYork ADC 賞SILVER、ONESHOW merit賞、東京ADC 賞受賞。「静岡市美術館」のCIでONESHOW PENCIL賞受賞。2012年「Rocca」でGOOD DESIGN賞受賞。